ぼっち飯=恥ずかしいこと?ぼっち飯についての3つのポイント
どうも、真面目系クズの モリひ です。
今日は、自分も体験したことのある「ぼっち飯」について語っていこうと思います。
学生向けの記事ですが、どうぞ読んでくださると嬉しいです。
ぼっち飯=恥ずかしいことなのか。
今回、一番 僕が言いたいことは
ぼっち飯=恥ずかしいこと
なのかということです。自分は全く恥ずかしいことではないと思います。
なぜ、ぼっち飯は恥ずかしいという風潮があるのか、ぼっち飯の長所について語っていきます!
皆で食べる。それはぼっち飯より寂しいこと?
学生の時、クラスの中で大体の人が、友達と集まってお弁当を食べてますよね。
そこで、誰とも集まらず一人で食べる人を「ぼっち飯」と言いますが、果たしてそれが、一番恥ずかしい、寂しいことなのでしょうか。
僕が一番思ったことは、仲の良い友達で集まって、お弁当を食べている人たち、そこにも寂しさが秘められていると思います。
「仲の良い友達5人で集まって食べる」 これだけ聞くとすごい微笑ましい「青春」って感じがしますよね。
でも、ここで問題になってくるのが、果たしてその5人、全員が友達同士なのかと言うことです。
5人の中で「あの人とは仲良いけど、この人とは そんなになぁ。。。」という関係性が生まれていないのか。
もし、生まれているのなら、一体何が起きるのか。
それは、気の遣い合いだと思います。
複数人で集まって食事をする時、それはその場合でも会話が起きるはずです。
全員が黙々と食事を摂る事など、まず無いと思います。
そこで、全員が友達同士じゃない集まりだと、気の遣い合い、つまり会話が止まった時に、どうにか会話が続かないか、次はどの話題で喋ろうか、と思考を巡らせることが起きます。
これは、普通 昼食でお弁当を食べるときに起きるべきではない思考だと思います。
けど、上記のようなグループでは、起きてしまいます。会話が止まった時の気まずさに耐え切れなくなるからです。
また、その中のグループで、あまり積極的に会話にはいれない人は何を思うか。
目の前で、ワイワイと会話が起きている中、自分はそこには参加できない孤独を感じると思います。
この時に感じる孤独は、周りでぼっち飯をしている人よりも大きな孤独感です。
ぼっち飯をしている人は完全に誰とも関わっていませんが、上記の人の場合、一応皆でお弁当を食べているグループには属しています。だけど、いまいち入りきれていない中途半端な存在。その孤独感は大きいです。
だから、場合によっては、「皆で集まって食べる」この行為は「ぼっち飯」よりも寂しいこともありえます
ぼっち飯の長所とは。
「ぼっち飯」と聞くと、寂しい、恥ずかしいなどマイナスの印象しかないと思います。
一般的にそういう印象があるから、ぼっち飯をする側も「恥ずかしい」と感じてしまいます。
でも、ぼっち飯には長所、プラスの一面もあると思います。
まず、一番の長所と思うのは、上の見出しでも書いた事に関係するのですが、簡単に言うと誰のことも考えずに済むという点です。
上の見出しでは、「複数に食事を摂るとき、気の遣い合いが起こる可能性がある」と書きましたが、ぼっち飯の場合はその心配は全くありません。
起こるわけがありません。なぜなら、1人だからです。その食事の時間誰とも関わっていないからです。
そういう面では、気が楽です。でも、周りの目って気になりますよね。
ぼっち飯の対処法とは
今まで、書いてきたことはぼっち飯に対する僕の考え方です。
ぼっち飯は決して恥ずかしいことではない。これが僕の考えです。
でも、結局周りの目は気になるものです。
では、どうするか。
一番簡単なのが、意識をそらすことです。
読書でも、携帯を触ることでも何でも良いので周りの視線なんて気にならない自分だけの世界に入ることです。
僕はこれが一番手っ取り早い有効な対処方法だと思います。
まとめ
今回は「ぼっち飯」について語ってきました。
ぼっち飯は決して恥ずかしいことや寂しいことではないと思います。
最終的にぼっち飯は気持ちの問題だと思いますが、僕自身ぼっち飯を体験したことがあるので、少しでもこの記事で誰かの気持ちが楽になればいいなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。